アントニオ・パニコはナポリ仕立ての歴史の中でも最高のサルトと言われており、その跳び抜けた技術は孤高の存在であるがゆえに継承不可能とまで言われている事から、”最後のマエストロ”とも呼ばれている天才サルトです。
現在はナポリとローマにアトリエを構えており、政財界の要人をはじめ世界中の好事家が彼のアトリエを訪れます。
本来パニコはス・ミズーラをのみ扱う仕立職人ですが、畑違いとされているプレタポルテを作る上でもモデリストとしての高い能力を持っており、この能力こそがパニコを天才と呼ばせる理由と言われております。
事実、ロンドンハウス在籍時代にキートンのために設計したコートなどは現在も製品としてラインナップされている程です。
ロンドンハウス時代の逸話も多く、ある日仮縫いの予定が入っていた6人のまったく体系の異なる顧客に対して、仮縫いの準備のできていたのは一着のみであったが、狼狽するマリアーノ・ルビナッチを尻目に彼はその一着で全ての仮縫いをすませ、後日一件の苦情もなく完璧に納品。
それは仕立て職人としての高い能力は言うまでもなく、既製服に最も重要とされるフィッティングの拡大解釈に長けながらも決して凡庸にならない高度なバランス感覚が同居している証であり、モデリストとしての飛び抜けた能力を物語っています。
また、キートンのオーナー、チーロ・パオーネは彼の能力を高く評価し、同社のモデリストとして召集すべく、破格の金額でオファーを出し続けている事もナポリでは有名です。
しかし、彼はそのオファーには見向きもせず数年前に自身の名を冠したプレタポルテの開発に乗り出しました。
しかしながら、サルトの手仕事を装飾としてのみ用い、見えない部分は機械に頼って生産量を確保するキートンやアットリーニなどの高級既製服メーカーとは方向性が180度異なっており、パニコの作るプレタポルテは彼自身のアトリエ内でス・ミズーラの工程とまったく同じ正真正銘のフルハンドとなっております。
これは推測ですが、パニコ特有のダイナミックで丸みを帯びたドレープラインを形成するにはフルハンドでなければならなかったのだと思われます。
事実、ナポリの彼のアトリエでスミズーラしたジャケットと比較しても作りはまったく同じで、最も困難とされる背中の丸みも一切手抜きなし、巧みなアイロンワークにより生地が劇的に歪められ立体感を実現しています。
この事は同時に、見えない部分の下ごしらえが完璧に成されている事を意味しています。
恐らく、ここまで純度の高いフルハンドはフルオーダーをしない限り外では手に入る事はないと思われます。
商品の生産効率よりも完成度を重視したパニコに職人のプライドを感じる事ができます。
既成ラインでもファブリックの表示がありませんが、目の詰まったビンテージ生地を好んで使用しているようです。
パニコの素材選びの厳しさはナポリ随一でありパニコ自身が認めた服地しか使わないので、ビンテージファブリックであるか否にかかわらず必然的に上質な服地となるのは言うまでもありません。
また、ビンテージファブリックの所有量もロンドンハウスに次ぐ量であると言われており、その扱いもロンドンハウス在籍時代から蓄積されてきたパニコ独自のノウハウをもって仕立てられています。
ジャケットのシルエットは力強い男性の体を描いたやや広めに取られた肩、丸みを帯びたボリュームのある胸から急激に絞り込まれたウエストへとつながり、裾は後方に振られたカッタウェイフロントとなっているタキシードの様なエレガントなドレープラインはパニコの独自のものであり、その理想的なシルエットがあらゆる体系を包み込みフィットする事にパニコの技術の高さを感じる事ができます。